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ニーズがウォンツをソリューション(作:ひのきだに)
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朝が早いためか、最近寝てばっかり

今日も、朝スタバで寝る
会社に行って働いて(ここはまじめ)
帰りの電車で寝る
帰ってきて整体に行って、あまりの気持ちよさに寝る(いつも寝てしまうので、まだ先生とあんまりしゃべってない)
家に帰ってきてごろごろ映画をみながら寝る

だらけている訳じゃないんですが、まだまだ体が対応できてないようです。
で、今から寝ます。

おやすみなさい


そういえば、おれの大日本人への日記へのアクセスが増えています。
みんな気になるんでしょうね。

まあ、昨日のは俺自身の感想なので、一度見てみられるのもいいでしょう。
でも、ブログで評価を調べてから行くぐらい迷っている方が見て満足はしないような気はします。

なにをするのも先に覚悟しておくというのは重要なことのような気がします。
覚悟していけば、わりかし楽しめるのではないでしょうか。

ああ、もう思いっきりなにかをできないつまらない大人になってきているのかなあ

そういう意味では松本人志がうらやましい

あいてて。肩が痛い
早くなおれー
右に首が回らん

おやすみなさーい
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みてきた

正直、1800円は高い
映画を見てひさびさにお金がもったいなかったと思ってしまった…。

面白いと言えば、面白かったけど、テレビでいいや。という感じ

うーーーん

これは意見がわかれるのか…
いや、わかれないような気がするんだな…

もっと、内容を言わずに説明すると
ある大学に大きな軽音みたいなサークルがあったとして、いままで関係なかった人たちが自分たちは面白いだろうということでその時だけ入部して、ライブに出て、みんなよくわからない状態なったのをその人たちで「うわー、やっちゃった。ひかれてるよ。わっはっは」と笑っている。みたいな感じが目に浮かぶ。

うーーーーーん、こういうの、悪いのかっていわれると悪くないんだけども、どうなんだろう

どっちでもいいけど、昨日の「すべらない話」のほうが100倍面白かった。

個人的にすごく残念


まあ、おいといてこの土日はほんとにだらだらしてました。
島耕作を江戸川の土手でずっと読んでました。
江戸川きもちいいーーー

江戸川大好きです。
なんか釣りができるみたいなので、こんどいってみたいと思います。
のーーんびり

わけあってネットがつながるのが10日ごろになってしまったので、写真が載せられませんが、江戸川の風景を今度のせますね。
昨日はテレビもみなかったし、千葉は雨がふってなかったので知らなかったんですが、すごい雨だったらしいですな

うーん、あぶない
スーツがぬれてたら大変だったなー

せーふ

ねむーい

最近のお気に入りは弘兼憲史の漫画です。
「人間交差点」「加治隆介の議」「課長島耕作」「黄昏流星群」
面白い…

天才だーーー
びびびびび

おやすみー
整体に通いだして体が徐々に回復しつつあります。
明日も、早起きして整体にいってきます。

あー、楽しみ
最近、文章スタイルが壊れ気味です。

びびびびび
カポーティっていう映画をみた。

カポーティーのことは知らないで借りたんだけど、どうやら「ティファニーで朝食を」とかを書いた有名な小説家だそうです。
この映画は、彼の最高傑作であり、生涯最後の長編小説である「冷血」を書く過程での心の葛藤を描いたものです。

「冷血」はある村で起きた殺人事件をもとに書いたノンフィクション小説
彼は、「書く」ために犯人たちにインタビューを重ねるのですが……


自分の目的のために人を利用していく傲慢な心
死刑囚との交流を通すことで生まれる良心
そんな人間らしい心の間で葛藤が生まれ、彼の人生と犯人の人生が交錯する。


いやあ、こりゃいい映画です。
ちなみに彼はこの小説を書いた後、彼は酒に溺れ、亡くなったそうです。



はい、前の日記と一緒でここから完全に脱線します
昔から、人との出会いは大切だ。
なんていいますが、生き物同士というのはコミュニケーションをとろうがとるまいが距離が接近することで、影響し合うような気がします。

科学的に見ても、宇宙にはニュートリノという質量がかぎりなくゼロに近い宇宙物質(宇宙線)が毎秒何百光年の速さで私たちの体の中を通過しているそうです。(本では地球から太陽までを鉄板で埋めたとしても一瞬で貫通していく中性微子と書いてありました。しかも、そこら中に飛んでるらしい)つまり、宇宙のすべての存在は宇宙線によってネットワークされているといえるんじゃないか
だから、人同士が完全に分離した存在とも言えないし、意識自体が流れたりしないとは言い切れないんじゃないかなと。その辺が人が環境に影響させる原因だったりするんじゃないかなーなんて勝手に考えてました。

根拠ないけど

ちなみに昔うちの先生が「電話ってコミュニケーションじゃないと思うんだよね」ということを話したことを思い出しました。

つまり、「ネットワークでつながっている、遠隔地でリアルタイムで通信している」=「コミュニケーション」ではないんじゃないかという話でした。

もっと言えば、えーーっと、
直接会ってしゃべったりとかテレビ電話とか、ああいうのはコミュニケーションなんですが
長電話とか、夜中のドライブの中での会話とかは、その人同士の間に意識の共有空間を作ってる。
(コミュニケーションの定義にもよると思いますが)
だから、無理に言葉を埋めたりしなくてもよかったりする。
一般の人達もそういう空間を電話に求めるので、テレビ電話が普及しないんだ

そういう会話をしました。

ううううーーーーん、うまく表現できないな
表現がむずかしい。論理的に物事を考えられないので、いまいちかな…
うーーん



はい、脱線終了




なにはともあれ

ボコノン教ではこういう(だいぶ前の文章をさしてます)人生の「もののあはれ」を感じると、こう言うそうです

「目が回る、目が回る、目が回る」

大好きな小説によく出てくる宗教なんですがよくできてます。

駄文すぎて目が回る、目が回る

そういえば、仙台に行ったとき、15年ぶりに昔すんでいた場所にいきました。

どきどきしながら町を訪れると、最初の感想は「ちっちぇ」。
町全部のスケールが思っていたより小さかったです。

そりゃそうか、15年前って言ったら小学生だもの

昔の家はもう大きなマンションにかわってました。
友達がいた団地も駐車場にかわってました。
幼稚園も違う幼稚園にかわり、小学校も6月に立て替えらしく、古い校舎はほとんど残っていませんでした。

でも、なんだかなつかしいんだなー


小学生のときに通ったプラモ屋の前にはまだ昔のミニ四駆のコースが残っていました。
青葉神社も前とかわらず残ってました。
青葉神社からまっすぐ行き、右にまがったところにあった友人の家も残ってました。

なんだか、記憶があるようなないような感じだったのに、道がわかる
不思議な感じ

別に感動した訳じゃないんだけど、15年前もここを歩いてたんだなあ
戻ってきた、いろいろあったけどまたこの地面のこのポイントに立ってるんだ、生きてればどこにいても戻ったりできるんだ。なーんて思ったりしました。

まあ、言い方はクサい感じだけど、そんな感じ
あれ、なんかすごいナルシストみたいな言い方になったな

うーん、ちょっと違うのか
うーん、いや、あってるな

話が脱線するけど
こういう優等生みたいなきれいな考え方は、会社にはいってよく聞きます。
どうも、そういうの素直に受け入れられないんだよね。
むかつくし、きもちわるいやん。win-winとか。○リューチェーンとか

でも、よく思うのは自分で経験したことを違う言葉で表現したのは、受け入れられるんよね。
要は、経験がない時にいろいろ言われてもわからんっていうことかな。

まあ、いいや
この脱線話し終わり

とにかく、地下鉄に乗って帰るまで不思議な感覚に包まれていたのでした。
最近の現実とは違う世界みたいな。
その土地に立っていると不思議といままでの人生で過ごしたほかの土地との線が見えるというか
風土を含めて、土地は固有性を持っていることを体感したのでした。


実は千葉(今の家の近く)にも小学生時代の思い出の場所があるので、その気になったら行ってみたいと思います。

仙台と東京はえらい違いです。
なにもかもが

しかし、東京が悪いわけではありません。
違う場所なので違うと思うだけです。
プロフィール
HN:
オチタカユキ たかりんく
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/07/13
職業:
会社員
趣味:
趣味を増やすこと
自己紹介:
通信系の企業で働いています
今年からはフジテレビの見えるビルでノビノビしてます。夜景がきれい


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