ニーズがウォンツをソリューション(作:ひのきだに)
また週末です。
社会人をしていると日々の流れがほんとに速いです。
しかし、毎日が繰り返しなような感もあるためか、忙しいのだけども、その速い流れの中を占めるルーティン的な流れを記憶の中で断片的につなげることで、いま自分が過ごしている時間がスローモーションで流れているような感覚になるときがあります。断片的に自分を撮影してみたら、全部おんなじかっこうをしているみたいな。しかし、そこには確かに歩んだ跡がある。
瞬間的に流れる現在が過去に移り、その時間感覚の中で周囲の存在が曖昧になるような感覚に陥るときがある訳です。
いうなれば、今のようで、昔のような、未来のような感覚。過去やったことと現在自分がしていることの境がわからなくなり、すべてが一度に進んでいるような気分かな。
この感覚がオーストラリアのアボリジニたちの言うドリームタイム(ここの説明みたいな感じかな?正しいかはわからん)に近いものなのかもしれません。
実際、オーストラリアの大地に足をふみいれたことのない俺には、絶対に行き着く感覚ではないような気がするので、日本人のおれでいえば仏教でいう三世実有(さんぜじつう)の感覚なのかもしれません。三世実有とは過去も、未来も現在とともにこの世界の内部に実在するという考え方なのだそうです。
(そういう言葉があるということしか知らないので、両者の違いもよくわかっていなし、インドで生まれた発想で日本人だからという意味もほとんどないんですが。)
これまた、よくわかっていませんが、三次元に時間軸を追加した四次元的な考え(相対性理論)方の始まりなのかもしれません。
でも、藤子不二雄が言っていた、体感時間と実時間の流れは同一ではない的なことの意味はよくわかってきた気がします。詳しくはこの人のSF短編集をよみましょう。
そうか、こういう感覚って、SFなのかもしれない!!
全部、一緒なんだ!!!
ということで本題に入る訳ですが、
昨日は仕事が終わった後に秋葉原のヨドバシに行きました。
advanced esかっちゃった。
機種変更したら、1時間ぐらいかかるといわれたから
ひさびさにゆっくりと売り場を回ってみました。
どこか、バブリーな時代を引きずっているかのようなこの雰囲気‥。
思うところはあれどもきらいじゃないんだよね。
というか4年もこんなところで働いてたらなのか、なんやかんややっぱり好きです。
なんか、自分の跡先をたどっているような感じになります。
しっかし、山ほど商品がある。
この一つ一つに何人(何百人?)の関わりがあるんだから恐れ入る。
莫大な商品の流通をまとめて頭で想像したら楽しくなってきた。
いくら売れようが、売れなかろうがそこってどの商品も変わらない。
どんな仕事に就こうとも、現代では世の中のなにかの商品や会社の一部になることを象徴しているようだった。ということは、違いは行う作業の違いだといえる。
現時点だとそこにおれはあまりこだわっていない。
いまや、音楽だってそうさ。
世間でいうアーティストも企業人だ。
でも、おれはそんな社会が好きなのかもしれない。
ある種、複雑な制限がある中で、自分がどういう自由度、表現をしていくか。それをどうフィードバックさせていくか。
いまの社会はすべてが金に絡むもののそこに長けている。
だから、いろんな意識が絡む新しいものが好き。
それを売る現場にも特別なものを感じる。
東京は特にそういう刺激をどんどん与えてくれる。
東京にいると、人の意識の集合体としての町、企業、モノの集合の意識を感じる。
そこに恐れを感じながら同時にトキメくおれは、自分の中にまだまだ内在するブラックボックスがあるようでうれしくなる。
それがおれの考え方。
量販店をぐるぐる回っているとそんな感覚になる。
全部一緒なんだ!!!
で、今日はプールに行こうと思ったんだけど水着がない。
持ってきてなかったっけ?
まあ、いいや。風呂にだけ入りにいこう。
今日はてんきがいい!!!
社会人をしていると日々の流れがほんとに速いです。
しかし、毎日が繰り返しなような感もあるためか、忙しいのだけども、その速い流れの中を占めるルーティン的な流れを記憶の中で断片的につなげることで、いま自分が過ごしている時間がスローモーションで流れているような感覚になるときがあります。断片的に自分を撮影してみたら、全部おんなじかっこうをしているみたいな。しかし、そこには確かに歩んだ跡がある。
瞬間的に流れる現在が過去に移り、その時間感覚の中で周囲の存在が曖昧になるような感覚に陥るときがある訳です。
いうなれば、今のようで、昔のような、未来のような感覚。過去やったことと現在自分がしていることの境がわからなくなり、すべてが一度に進んでいるような気分かな。
この感覚がオーストラリアのアボリジニたちの言うドリームタイム(ここの説明みたいな感じかな?正しいかはわからん)に近いものなのかもしれません。
実際、オーストラリアの大地に足をふみいれたことのない俺には、絶対に行き着く感覚ではないような気がするので、日本人のおれでいえば仏教でいう三世実有(さんぜじつう)の感覚なのかもしれません。三世実有とは過去も、未来も現在とともにこの世界の内部に実在するという考え方なのだそうです。
(そういう言葉があるということしか知らないので、両者の違いもよくわかっていなし、インドで生まれた発想で日本人だからという意味もほとんどないんですが。)
これまた、よくわかっていませんが、三次元に時間軸を追加した四次元的な考え(相対性理論)方の始まりなのかもしれません。
でも、藤子不二雄が言っていた、体感時間と実時間の流れは同一ではない的なことの意味はよくわかってきた気がします。詳しくはこの人のSF短編集をよみましょう。
そうか、こういう感覚って、SFなのかもしれない!!
全部、一緒なんだ!!!
ということで本題に入る訳ですが、
昨日は仕事が終わった後に秋葉原のヨドバシに行きました。
advanced esかっちゃった。
機種変更したら、1時間ぐらいかかるといわれたから
ひさびさにゆっくりと売り場を回ってみました。
どこか、バブリーな時代を引きずっているかのようなこの雰囲気‥。
思うところはあれどもきらいじゃないんだよね。
というか4年もこんなところで働いてたらなのか、なんやかんややっぱり好きです。
なんか、自分の跡先をたどっているような感じになります。
しっかし、山ほど商品がある。
この一つ一つに何人(何百人?)の関わりがあるんだから恐れ入る。
莫大な商品の流通をまとめて頭で想像したら楽しくなってきた。
いくら売れようが、売れなかろうがそこってどの商品も変わらない。
どんな仕事に就こうとも、現代では世の中のなにかの商品や会社の一部になることを象徴しているようだった。ということは、違いは行う作業の違いだといえる。
現時点だとそこにおれはあまりこだわっていない。
いまや、音楽だってそうさ。
世間でいうアーティストも企業人だ。
でも、おれはそんな社会が好きなのかもしれない。
ある種、複雑な制限がある中で、自分がどういう自由度、表現をしていくか。それをどうフィードバックさせていくか。
いまの社会はすべてが金に絡むもののそこに長けている。
だから、いろんな意識が絡む新しいものが好き。
それを売る現場にも特別なものを感じる。
東京は特にそういう刺激をどんどん与えてくれる。
東京にいると、人の意識の集合体としての町、企業、モノの集合の意識を感じる。
そこに恐れを感じながら同時にトキメくおれは、自分の中にまだまだ内在するブラックボックスがあるようでうれしくなる。
それがおれの考え方。
量販店をぐるぐる回っているとそんな感覚になる。
全部一緒なんだ!!!
で、今日はプールに行こうと思ったんだけど水着がない。
持ってきてなかったっけ?
まあ、いいや。風呂にだけ入りにいこう。
今日はてんきがいい!!!
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プロフィール
HN:
オチタカユキ たかりんく
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/07/13
職業:
会社員
趣味:
趣味を増やすこと
自己紹介:
通信系の企業で働いています
今年からはフジテレビの見えるビルでノビノビしてます。夜景がきれい
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