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ニーズがウォンツをソリューション(作:ひのきだに)
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さっきの樋口君からの指摘もあり、picasaを使ってみた。
macユーザならiphotoからもアップデートが出来るすぐれもの。

これは楽しいですね。ぐーぐるさいこー。

ということで、私どもの京都旅行アルバムをお楽しみください。
京都旅行20080920-0924
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そういえば、仙台に行ったとき、15年ぶりに昔すんでいた場所にいきました。

どきどきしながら町を訪れると、最初の感想は「ちっちぇ」。
町全部のスケールが思っていたより小さかったです。

そりゃそうか、15年前って言ったら小学生だもの

昔の家はもう大きなマンションにかわってました。
友達がいた団地も駐車場にかわってました。
幼稚園も違う幼稚園にかわり、小学校も6月に立て替えらしく、古い校舎はほとんど残っていませんでした。

でも、なんだかなつかしいんだなー


小学生のときに通ったプラモ屋の前にはまだ昔のミニ四駆のコースが残っていました。
青葉神社も前とかわらず残ってました。
青葉神社からまっすぐ行き、右にまがったところにあった友人の家も残ってました。

なんだか、記憶があるようなないような感じだったのに、道がわかる
不思議な感じ

別に感動した訳じゃないんだけど、15年前もここを歩いてたんだなあ
戻ってきた、いろいろあったけどまたこの地面のこのポイントに立ってるんだ、生きてればどこにいても戻ったりできるんだ。なーんて思ったりしました。

まあ、言い方はクサい感じだけど、そんな感じ
あれ、なんかすごいナルシストみたいな言い方になったな

うーん、ちょっと違うのか
うーん、いや、あってるな

話が脱線するけど
こういう優等生みたいなきれいな考え方は、会社にはいってよく聞きます。
どうも、そういうの素直に受け入れられないんだよね。
むかつくし、きもちわるいやん。win-winとか。○リューチェーンとか

でも、よく思うのは自分で経験したことを違う言葉で表現したのは、受け入れられるんよね。
要は、経験がない時にいろいろ言われてもわからんっていうことかな。

まあ、いいや
この脱線話し終わり

とにかく、地下鉄に乗って帰るまで不思議な感覚に包まれていたのでした。
最近の現実とは違う世界みたいな。
その土地に立っていると不思議といままでの人生で過ごしたほかの土地との線が見えるというか
風土を含めて、土地は固有性を持っていることを体感したのでした。


実は千葉(今の家の近く)にも小学生時代の思い出の場所があるので、その気になったら行ってみたいと思います。

仙台と東京はえらい違いです。
なにもかもが

しかし、東京が悪いわけではありません。
違う場所なので違うと思うだけです。
いまこじょうがきています。 就職活動は活動は大変そうです。 だれか雇ってあげてください 馬車馬のように働くそうです。 そういえば、マックを買いました。 imac20インチ 画面 でかい!!!! はやい!!!! うおーーーー こじょーーーーー
前に書いた○マハの話の続きはもう少し後にしましょう。


今日みたいな寒い日にはいろんなことを思い出します。
これはおれが仙台で育ったことに関係がありそうですね。

仙台には小学校3年までしかいなかったので、そんなにはっきりと記憶は残ってないんですが、冬に雪がよくつもっていたのをよく覚えています。

そんな小学校時代の話
クラスに小野君という男の子がいてよく遊んでいました。
その子のうちは街角の入り組んだ路地の間にありました。
昔でいう長屋のような家で、直接的に言えば、かなりお金に困っているタイプの家庭だったということです。

小学生のおれはそんなことに気づいてないのですが、ただ家の中が異様に狭く、玄関にあたるドアがなかったことは覚えてます。この時点でおれはちょっと小野君を蔑んでいたのかもしれません。

そんな時に小野君が
「うちのとうちゃんってすごいんだぜ。うちのとうちゃん新聞紙とかでトイレットペーパー作って、つかってるんだぜ!!」

というようなことを言い、その束を見せてくれたのでした。

正直いうと、その時おれはショックを受けました。
理解できなかったんですよ、なんでそんなことをするのか。
そして家のイメージと相まって、その束が不潔な感じに見えたんだと思います。
しかもこの時、世間はバブル期
あんまりリサイクルっていう考えもない時代で、なんでも与えられていたおれにはほんとに理解できなかったんです。

そんな感じだったので


「え!!!汚ねえ!!!ちかづけんなよー」

みたいなことを不意に言ってしまいました。
言ってしまったんです。悪気もなく。

その言葉を聞いた瞬間、小野君はなんともいえない顔をしました。今思えばその表情は、意外な反応が返ってきた驚きと失望感、悲しみ、なにかに気づいたような感情がいりまじっていたようでした。

悪気はなかったおれでもなにか感じたのか、その顔が心に焼き付きました。



それから、年々成長するにつれて、自分がなにをしたのかわかり、思い出すたびにやりきれない感じになります。

でも、そんなずっと考えてるわけじゃなくて、ある時フッと思い出すんですよ。
1年に2、3回あるかないかぐらいの周期でフッと。
自分の心が、「忘れるな!これはお前のカルマだ!!」と言っているようです。

いくらなんでもそんなに重荷ぶる必要もないし、そんな重大ぶる気もないんですが、一生忘れないようにします。うんうん。



ところで、小野君はいまなにしてるんだろうなー。

思いでぽろぽろぽろ
おはようございます。

先日、ある後輩が◎マハのインターンにいきたいというので、エントリーシートをチェックしてあげました。

なにを隠そう、私は一昨年、インターンにいったことがあるのです!!!
もう2年前になるのか、なつかしい

思えば、あのときから、◎マハとの縁が始まったような気がします。(今は完全に切れたけど)

で、そのあと内定しかけてたのに、一単位落として留年します。
一単位なので、次の年に受けなきゃいけない授業はひとつだけ。
しかも、奨学金も残り1年はストップ(つまり、今もらってません)
前期は休学しようと思ったけど、奨学金がとまるとのこと。
ということで、休学はあきらめて50万円(年間授業料)かけて1単位をとることをきめました。

今、考えてみてもなかなか悲惨です‥
このころはとにかく落ち込んで、「ああ、人生はつらい‥」と、よく思ったものでした。
同級生だったら同情します。

休学しないし、ほかの授業を受けてもよかったのですが、親にはあんまりお金の面倒はかけたくなかったので、前期は働いて生活費や次の年の就活資金を稼ごうと考えたわけです。

そんなある日

どんな仕事をしようか迷っていたときに、◎マハの九州事務所の方から電話が来ました。
販売応援をしていた友人におれのことを聞いたらしく(インターンはまったく関係ない)、ちょうど事務を探していたから働いてみない?という内容でした。

そのころはやはり◎マハに入社したかったので、
「おおおおお!!!!やりますやります。」と、すぐに決定したのでした。


そのあと、留年したとき以上の地獄がまっているともしらずに‥‥

つづく
プロフィール
HN:
オチタカユキ たかりんく
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/07/13
職業:
会社員
趣味:
趣味を増やすこと
自己紹介:
通信系の企業で働いています
今年からはフジテレビの見えるビルでノビノビしてます。夜景がきれい


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