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ニーズがウォンツをソリューション(作:ひのきだに)
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だんだん秋も深まってきましたね。
夏から秋への季節の変わり目はなんともいえず良いものがあります。
風が気持ちいい。

いきなりですが、前々からよくわかっていないことがあります。

「死んだら極楽浄土へ」とか、「おめえみたいなやつは地獄にいっちまえ」みたいに死後の世界は天国と地獄にわかれているようなことを言います。

しかし、そもそも仏陀(仏教の話ね)が説いたのは、輪廻の苦しみから解脱するための教えではなかったのか。
仏教によると、人は死んだ後に生きてたときの行いによって来世がきまり、また生まれる。
の、繰り返しで悪い人ほど永遠に死ぬことができないはず。(輪廻からぬけだせない)
仏教はそんな苦しみから解き放たれるための教えとのこと。
いわば、本当に死ぬための宗教のはず。

天国の解釈は飲み込むとして、
じゃあ、よく言う地獄ってなんかいな?

うーん、よくわからん。
だれかおしえてー。
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やりたいことが多すぎて、何からどうしたらいいかわからなくなってきた。
読みたい本や、やりたいことが多いんだけど、全然消化できてない。
この傾向はよくない。いろいろ手をだして何も見にならないコースだ。
25年間でいやというほど体にしみついてしまった自堕落な性格をどうにかしたい。

「仕事ばかりじゃ、いけないよ。いろんな感性をみがくようにしましょうね」みたいな言葉にかまけて、いろいろ手を出してたけどそんなんじゃだめだ。
というか、一般的にはいいのかもしれないが俺には毒だ。
危機感が止まらない。

そこで、いま家にある本とやりたいこと、やらなければいけないことを整理してみた。

まず、本。
家にある本をならべ、読んだ本と読んでない本に分ける。
読んだけど、内容を覚えていないものは読んでないにいれる。
この時点で漫画と小説しか読み切れていないことに気づいて愕然とする。
そして、それを「小説と漫画」、「学習書」に大きく分ける。
でこの2つのカテゴリーをさらにジャンルで分ける。
よし、この2ジャンルを順々に消化していこう!!
まずはそこからだ。

おれの性格上、買うだけ買って読んだ気になることが多い。
その分、ジャンルも多いのだけども、結局、知識が身にならずに終わっている。

こんな人生じゃだめだ。
とりあえず、一つでもいいから一生懸命やってみようと思う。

次、やりたいこと。
これも、とにかく挙げていき、分類する。

並べてみて気づくが、ここに挙げた全部をしてる暇など明らかにない。
しかたない。切り捨てよう。
ということで、今は仕事関連のことに重点を置くことにする。


飲み込みも悪いし、ゆっくりではあると思うけど、ノータリンなりに正攻法で一つのことを突き詰めてみようじゃないか。

負けるか!!
宮沢賢治の書いたものを読んでいると、かたくななまでの自己批判から発生し世の中に回帰するような表現、その輪廻的なループ中で人生に悩み苦しむ様におれの理解が追いつかなくなる。

おれのいままでの人生ではこの人の感覚には到底追いついていけるものではないことに気づく。
ということで、多少調べてみると、彼は非常に複雑な環境で育ってきたことがちょっとわかってきた。

賢治の生家は質屋と古着商をかねた地元の裕福な商家であり、弱者の生活を圧迫する家業と父に嫌悪しながら、それとは背反するかのような深い愛情の中で自分が生かされているという矛盾に幼い頃から悩んでいたらしい。
そんな12歳の頃の詩にこういうのがある。

我が父よ などて かのとき 舎監らの前を去るとき 銀時計まきたりしや
左側にて足をそべらかし 体操の教師とかいう かの舎監わらいしものを

舎監というのは宿舎の監督者のことで、
要は、金持ち趣味の父がそれをみせびらかせるために舎監の前でわざと銀の時計のねじを巻く。それを陰で蔑まれているとも知らずに。

という、父親の羞恥に対する嫌悪感むき出しの内容である。しかし、父親の一面を嫌悪するものであって、存在自体を嫌悪していたわけではないらしい。

われは古着屋のむすこなるが故にこのよろこびを得たり
みたいな文章もあったりする。

そんな善意と悪意の矛盾の中で揺れ動く賢治自身にとって、
自分という存在は修羅なんだ
というような文もよく出てくる。

どっかのサイトによると「修羅とは阿修羅の略で、地獄道、畜生道、餓鬼道と人間道との中間にあって、悪意と善意とが自己の内部で対立し構想する存在であり、それゆえに苦悩する存在である。」と書いてあった。(あの四方に顔がある神様。キン肉マンにも似たような超人がでてくる。)

まえに書いた「ビジタリアン大祭」でも生き物がほかの生き物を食べること、特に自然淘汰的な原理を非現実的に排除したかのような現代で、進化という名前で進む人間の生物的な矛盾への苦しみを表現したかったかもしれない。

社会に出ると、こんな根深いものではないけどいろーんな矛盾を感じることがある。
ひとりの幸せがみんなの幸せではないような。ある種、自分の思う道と違うことに従うこと、競争することがサラリーマンの使命であるような。
おれは現在、そんなに圧力をかんじるような状況じゃないんだけど(むしろ非常にストレスレス!!)、同期の話を聞いていたりするとふと、考えたりしてしまう。

銀河鉄道の夜での最後のほうで、ジョバンニが
「僕はあのさそりのように本当にみんなの幸せのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」というと、
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

というくだりがある。
友人の生命をたすけて死んでしまうカンパネルラにさえもこの問いはわからないのである。
(最後、ジョバンニは自身の考えを昇華し、希望を胸に現実の中に戻っていく。)

どこまでの自己犠牲にどこまでの意義を見いだすか。
そんなことを宮沢賢治について調べた上で改めて文章を見ると思う。


いかりのにがさまた青さ
四月の気層の光の底を
唾し、はぎしりゆききする
おれもひとりの修羅なのだ!!!!
仙台から帰ってきました。

いやー、いいことだったよ、仙台
正直、かえってくるのがちょっと残念でした。
あと1ヶ月ぐらい、いてもよかったなー

そして、かえってくるとほぼ同居人のよーすけが就職活動終焉を声高らかに宣言

どこの企業にしようか、二人でいろいろ考える。
人生を左右するような問題だから難しいよねー。

とりあえず、おめでとうよーすけ
ということで、泊まらせてくれたお礼におごりたいというので、二人で浅草へ

ヨシカミという洋食屋さんでご飯を食べました。
まじでうまい!!!!
しかも、雰囲気がいい
これぞ、日本の洋食屋さんという感じ
そのあと、妙典でバベルを見て、今度は寿司をおごってもらう。

こんなにおごってくれてありがとう!!
ちなみにおれはとらせてもらった方々にそこまでお礼はしていない。
去年、一昨年お世話になった皆さん
申し訳ない!!!!

出世払いで!!!

うーん、書くことが多すぎて整理できてないな

で今日の昼間よーすけが帰ったので、1ヶ月ぶりぐらいに一人になる。
せっかく天気もいいので、江戸川沿いで本を読んできました。
ここ、めちゃくちゃいいんですよ。

東京も捨てたもんじゃない
いま読んでる本はICCに行ったときにかった松岡正剛の「情報の歴史を読む」という本

情報の起源から、人類はいかに情報を編集しながら進化してきたかをわかりやすく、スケール大きく編集している文化史の本です。
これ、ほんと面白い

まだ、途中なので読み終わったら、詳しく書こうと思います。

ああ、いろいろ書こうと思ったけど、今日は頭が疲れたのでねま…す。。。。。。。。。。

ああ、ものすごいいろんなことが毎日おきてます。
これをすべて記録していきたいけど、なかなかたいへんですな。。。。

がgらがらgらgらえgrhーーーー

うーん、ねむい
ねます。
駄文でごめーんね
前の日記の続きはそのうち書きます。

今日は違う話を
4月にいいノートを買おうと思って、MOLESKINEのノートを買いました。
おれはびっくりするほど字がきたないんですが、そこは気にせず、思いついたことはなんでも書くようにしています。moleskine.JPG


それをぱらぱらと見てたら、面白いこと書いてたので書いてみます。






8月2日(2006年)
ゲド戦記を見に行く。万博でやるような環境映画を思い出させる作りで不満足。
でも、ちょっと気になったことがあった。
ゲド戦記では「真の名」が一つのテーマだった。ほんとの名前を知るということはその肉体、魂を支配することであるとのこと。
この原作はヨーロッパであることを考えると、古代西洋ではそういう考え方が一般的だったんだろうか?
そういえば、おととい、よーすけこじょうと見たエミリーローズという悪魔払いがモチーフの映画でも同じようなことを言っていた。つまり、悪魔払いの際に悪魔に名のることを命じていた。

ふーん。

でも、ガラスの仮面(おれが大好きな少女漫画)に出てくる紅天女(芝居の名前。この漫画で生まれた話なのですが、最近、能で演じられファンの間では密かな話題を呼びました。舞台は古代日本)では、名前の意味はなかった感じだった。
紅天女の劇中での、梅の木の精霊、
阿古夜の台詞「この世で名を持つのは人間のみ。神の名は名ではなく、その働きそのものであったのだ。名とはその本質のこと」といい、記憶を失った主人公に自分の名前を思い出すことは重要でないと語る。こっちでは名前は魂じゃなくて、本質なだけか。
うーむ。ちがうもんだ。

どちらにしても名前とは字が先にあったものではないはず。
「音」としてのその人の存在を示すもののはずだ。
じゃあ、宗教的な考えの違いか。
うーん、わからん

興味があるけど、ねむいのでおわり。



という日記でした。
言葉は「言の葉」というぐらいだから、日本でも軽く見たはずはないのだけれど、西洋的な名前の観念とは違いが見られるようです。

まあ、漫画と映画からだからどこまで信憑性がある話かわからんけど、こういう話はすべて風土に帰着するのだと思います。

もっといえば、起源問題。
そう考えると、調べるのに途方もない努力がいるので萎えました。

うーん。
よし、ちょっとづつ、知識を増やしていこう。
あんまりむりするな、おれ。
よし
プロフィール
HN:
オチタカユキ たかりんく
年齢:
36
性別:
男性
誕生日:
1982/07/13
職業:
会社員
趣味:
趣味を増やすこと
自己紹介:
通信系の企業で働いています
今年からはフジテレビの見えるビルでノビノビしてます。夜景がきれい


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